雑記

「性善説と性悪説」──その間にある“人の色”

1. きっぱり決められない話

「人って、生まれつき善なのか? それとも悪なのか?」
いわゆる「性善説と性悪説
——この問いは、昔からいろんな人が考えてきました。孟子は「善」、荀子は「悪」。(諸説あるけど、、、)
でもさ、そんなに簡単に決められるもんじゃないよね…。

だって、人って同じ人でも日によって全然違う顔を見せるじゃないですか。
朝は優しい気持ちで「おはよう」と言えても、夜には疲れて不機嫌になってることもある。
白か黒かというより、その間(はざま)にあるグラデーションの方がずっとリアルでそれが普通(大多数)だと思うんですよね。

なのでこの記事は、正解を決めようという趣旨はありません。
一緒に「ああ、こういう見方もあるね」とか、「そういう瞬間あるよね」と思える、そんな”雑記”です。


2. 性善説と性悪説、ざっくり説明

  • 性善説
    人はもともと善い心を持っていて、環境や教育がそれを育てるという考え方。
    種の中にすでにきれいな花の設計図があって、水や光で咲くようなイメージです。
  • 性悪説
    人は本能的に自分の利益を優先しがちだから、放っておくと争ってしまう。
    だからルールや教育が必要、という考え方。
    野生の木が曲がって育つのを、支柱で支えてまっすぐにする感じですね。

日本はこの二つを混ぜ合わせてきた歴史があります。
江戸時代の寺子屋では「人は元々よい心を持つ」と教えつつ、「規律は守れ」とも教えていたんです。


3. その間にもある、いくつかの説

性善説と性悪説の“間”にあたる、中間説も古くから存在します。
二分法では捉えきれない人間観を、先人の人たちも考えてきたわけです。

  • 性無善悪説(せいむぜんあくせつ)
    「人は生まれたときには善でも悪でもない」
    善悪は後天的に、環境や経験によって作られるという考え。
    白いキャンバスに何が描かれるかは、その後次第というイメージ。
  • 性可善可悪説(せいかぜんかあくせつ)
    「人は善にも悪にもなれる可能性を持つ」
    方向づけは教育や環境次第という、ハイブリッド型の立場。
  • 性三品説(せいさんぴんせつ)
    人は生まれつき「善寄り」「中間」「悪寄り」に分かれるという考え方。
    つまり、人の性質は一律ではなく個人差があるという発想。

こうした説は、現代心理学の「タブラ・ラサ(白紙説)」や「状況主義」にも通じる部分があります。
昔から、人間は“最初から一方向”ではないと感じる人が多かったのかもしれません。


4. 日常の中で見える“善”と“悪”

「人って基本、善だなぁ」と思う瞬間があります。

  • 無人販売所で、お金をちゃんと置いて野菜を持っていく人。
  • 落ち込んでる誰かに、SNSで温かい言葉をかける人。
  • 雨の日、知らない人に傘を差し出す人。

でも逆に、「ああ、性悪説の方が当たってるかも…」と思うこともあります。

  • SNSや掲示板での誹謗中傷、荒らし行為。
  • 災害時やセール会場でのパニック的な買い占め・割り込み。
  • 監視が緩い場面での不正

こういうのを見ると、状況次第で利己的・自己中心的に振る舞う素地があるんだなって思います。


5. 私の考える“人の色”

人は善でも、悪でもなく、
むしろ、そのはざま。
日々の出来事や立場によって色合いは少しずつ変わり、その揺らぎこそ、その人らしさを形づくっているんだと思います。

アドラー心理学では「人は目的に沿って行動する」と言います。(目的論)
つまり、善か悪かは性格の固定されたラベルではなく、そのときの目的や状況によって生まれる刹那的な色にすぎない。

なので私は、相手を一回の出来事だけで決めつけないように心がけています。
その人の色は、時間と共に移ろい、必然的に変わっていくからです。


6. バランスの取り方

私が観ている世界観って、性善説と性悪説、そしてその間の考え方が混じっている社会です。
どれかに偏りすぎると、見えてくる課題もあります。

  • 性善説に寄りすぎると
    信じすぎて、裏切られることもある。
    「相手は悪くない」と思い込みすぎて、被害が長引くこともある。
  • 性悪説に寄りすぎると
    疑いから始まってしまい、信頼が育たない。
    監視や制約ばかりになって、心の余裕がなくなる。

私は、「信じる」と「確かめる」をセットにすることを自分に言い聞かせています。
信じることで人間関係は温かくなり、確かめることで安心感が保たれる。
これがちょうどいい距離感なんじゃないかなって思います。


7. おわりに — 今日のあなたは、どちら寄りでしたか?

今日のあなたは、どちらかというと“善”でしたか? それとも“悪”でしたか?
そのどちらでもないグラデーションの中だったでしょうか?

その位置は、ほんの少しの出来事や感情で変わります。
明日はまた違う場所に立っているかもしれない。

その移ろいこそが、人間らしさで、あなたらしさ。

そんじゃ、またね!

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