
出典:Netflix提供の公式ビジュアルを使用
Netflixで配信されている作品「隔たる世界の2人」を観ました。
わずか32分ほどの作品。
なんとも言えない、心のモヤモヤを禁じえない感覚、苦悩と僅かな希望という余韻が残ります。
胸の奥にのしかかる、不条理、怒り、悲しみ、無力感、そして私の脳内で繰り返し浮かび上がる問い。
「なぜ人間は、同じ種の“人間”でありながら理解し合うことが、これほど難しいのだろう?」

この作品は、「差別」と「尊厳」という普遍的なテーマを私たちに突きつけるテーマで構成されています。
おそらく多くの人に知ってもらいたいのだと思う。そして考えるきっかけを与え、何かしらの行動を促したいのだと思う。
日本に暮らす私たち多くの日本人にとって、
この作品のテーマは遠い国の問題で、身近なこととして感じられず、リアルな想像をすることができないんじゃないかなと思います。
しかし、
この作品を観終えたあとの、心に残る「なんで?」や「やりきれなさ」をたどっていくと、
それは決して他人事ではなく、私たちの日常ともつながっているのだと気づかされます。
⚠️ 無意識に作られる「壁」の正体 ⚠️

作品の背景には、白人と黒人、アメリカ人と移民、支配する側とされる側という分断が色濃く描かれています。
けれど私がもっとも強く感じたこと。
差別とは「嫌悪」や「敵意」だけで生まれるものではない、という点。
人は誰しも「自分と違う存在」に出会うと、少なからず不安を抱きます。防衛本能として。
それ自体は生物として自然な反応です。
問題は、その感情をどう扱うかです。
教育や環境が未熟であれば、その違和感は「越えられない壁」へと姿を変え、やがて差別という形で固定化されてしまう。
私は画面を見つめながら、
「2020年に起きたジョージ・フロイドさんの事件(リンク先出典:Wikipedia)」を思い出しました。
警察による暴力、そして「I can’t breathe(息ができない)」と繰り返す声。
その一部始終は世界中に衝撃を与えました。
あのとき世界が見たのは、まさに「隔たる世界」そのもの。
尊厳を奪われることの痛み

差別が恐ろしいのは、単なる扱いの違いに留まらないことです。
最も深刻なのは、人間としての尊厳を奪ってしまうこと。
尊厳とは「誰もが等しく持つ存在としての価値」です。
暴力や嘲笑、冷たい無視といった行為は、その価値を踏みにじる。
作中のある場面で登場人物が屈辱を受ける場面に、私は思わず胸を押さえました。
まるで自分がその場に立たされているかのように息苦しく、涙がこぼれそうになりました。
このとき感じたのは、「差別は決して遠い国の話ではない」という現実。
日本社会においても、学歴や職業、障がい、精神疾患といった理由で尊厳が軽んじられる瞬間があります。
私たちは気づかぬうちに「誰かの尊厳を奪う側」になっているかもしれない。
📖 心理的な壁と教育の可能性

人はなぜ、ここまで愚かに壁を作り続けるのでしょう?
この答えの一つに「心理的な壁」があると私は感じます。
自分と異なる存在に対して線を引くこと自体は悪ではありません。
むしろ、境界線があるからこそ自分のアイデンティティを守れる部分もあります。
けれど、その線を「越えてはいけない壁」と勘違いすると、相手を排除する口実となってしまいます。
ここで必要になるのが教育。
教育とは、相手を理解し合うための最も有効な智慧です。
違いを学び、歴史を知り、対話を重ねることで、心理的な壁は少しずつ「橋」に変わっていきます。
作品を観ながら、「教育は人間の尊厳を守る最後の砦」だと痛感。
差別の芽を完全に摘み取ることはできないでしょう。
それでも教育によってそれを抑制し、対話によって理解へとつなげることは可能なはずです。
🌏 日本人にとっての「遠くて近い」問題

日本に暮らす私たちにとって、アメリカの人種問題は遠い国の出来事のように映る。
けれど、差別の根は国境を越えて誰の心にも潜んでいます。
近年、アジア人に対する差別が世界的に顕在化しました。
コロナ禍において「アジア人である」というだけで暴言や暴力を受けた人々のニュースは記憶に新しいでしょう。
日本国内でも、外国人労働者に対する偏見や、LGBTQ+、精神疾患を抱える人々への無理解は根強く存在しています。
つまり「隔たる世界の2人」で描かれるテーマは、決して“彼ら”だけの問題ではなく、“私たち”自身の課題でもあります。
私がこの作品を忘れられない理由

正直に言えば、観終えた直後の私は しばらく やりきれない感情でいっぱい。
こんなことが実際に起こっている現実を信じられない。いや、受け入れられませんでした。
「悲しい」だけでは足りない。
そこにあるのは、人間という存在そのものへの疑問でした。
「人はなぜここまで愚かになれるのか」 「人はなぜ同じ過ちを繰り返すのか」
けれど同時に、この作品から私は一筋の希望も受け取りました。
それは「差別を完全になくすことは難しいが、尊厳を守ることはできる」というメッセージです。
差別は人間の影のように存在し続けるのでしょう。
しかし、その影に光を当てることはできる。
相手を知ろうとする姿勢、教育の力、尊厳を尊重する心──それらの積み重ねが、壁を橋へと変えるのだと信じます。
🎥 ぜひ観てほしい、そして考えてほしい

「隔たる世界の2人」は、決して楽しんで観る作品ではありません。
むしろ観る人の心に訴えかけ、やりきれない、悲しい感情を引き起こすでしょう。
けれど、だからこそ観る価値があります。
それは単なるドラマではなく、「人間とは何か」「平和とは何か」を鋭く問いかける作品だからです。
この記事をここまで読んでくださった方がいるなら、どうか一度この作品に触れてみてください。
そして観終えたあと、自分の心に生まれた問いや感情を大切にしてほしいと願います。
差別は遠い国の出来事ではなく、私たち自身の問題です。
そして、「一人ひとりが、一人ひとりの尊厳を守る」
そこから平和は紡がれていくと信じます。そんな糸を少しでも増やしたいと心より願います。
それじゃ またね。